移りゆく風の色と匂いと厚みを感じて
7月9日、東鎌倉駅。改札を抜けて、鎌倉街道を道なりに数百メートル歩くと、道側に路地を見つけた。涼しけな石段を登り、『寶所在近』と文字が掲げられた総門をくぐる。後から知ったが、この寶所在近とは「仏を信じ、修行を積めば心の平穏が得られる」という仏の教えを意味しているらしい。
茅葺き屋根の書院には、既にプログラムをともに過ごすメンバー、井本先生、小木戸先生、手塚先生、重松先生とパートナーさんが到着していた。井本先生、手塚先生はプログラムの面接、小木戸先生は昨年の夏以来の再会だった。
プログラムが始まった。前半は重松先生がファシリテーターで、“vulnerability”と“authenticity”をキーワードに、相手の存在を肯定する言葉を相手に届けるワークや自分が何者かを様々な表現で対話をするワークを行った。特に「ありのままの自分や他者を受け入れる」ということが一貫して強調されていた。
とても興味深い、素敵な時間だったが、このプログラムで使われていた“vulnerability”と“authenticity”という言葉に関して、私はなんとも言えない距離感を感じた。そこから浮かび上がった問いが「この2つの言葉にはどちらも「私」が所与として存在しているものとして扱われていないか?」「それは自分に馴染みあるものか?」というものだった。
私はプログラムの選考時の“Describe/tell us who you are on 1 A4 sheet”という課題に対し、“The theater of my heart”というタイトルで、周りの環境や自分の心持ちによって立ち上がる様々な「私」を、1つの「私」から見た視点で文章で表現した。私にとっての「私」とは揺らぎやすく、侵食されやすく、移ろいゆくものであったからだ。
重松先生が話す“vulnerability”と“authenticity”が前提としている「私」と、私にとっての「私」は少し違う。そのような感覚を持ちながら後半のセッションに進んだ。
後半は小木戸先生が紡ぐ、自分と他者と自然と、身体を通してつながるワークショップだった。指の先と先で自分と、そして他者と繋がる、全身で自然と対話をする。
草がこすれる音、鳥の音に敏感になる。立つ場所によって色も匂いも温度も厚みも変わる、風を感じる。書院の内と外が曖昧なように、自分と他者そして周りの環境の境目が曖昧になる。目に見えない存在とつながる。
個人的には、後半のワークが自分に馴染みやすかった。自分にとっての“vulnerability”と“authenticity”はこのワークで感じた感覚に近いはず。風が立つ場所によって変わるように「私」も移ろいゆく。
プログラムが終わると、身体は涼しげなのに、汗をたくさんかいたことに気づいた。疲労もたまった。普段とは違う身体の使い方をしたからだと思う。
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この日からまたしばらく経って、忙しい日々であのときの感覚と今の感覚にやや距離がある今、まもなく始まるスタンフォードでの日々に心を躍らせている。
「自分にとっての“vulnerability”と“authenticity”とはどんな感覚か?」
「他者にとっての“vulnerability”と“authenticity”とはどんな感覚か?」
その違いを楽しみたい。
またその感覚を日常の行動実践に落とし込むというのも自分の中でのテーマである。
自分や他者に対するこれまでとは異なる理解の先に、どんな「せかい」が待っているのか、とても楽しみだ。
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自分は「揺らぎやすく、侵食されやすく、移ろいゆくもの」と感じている君へ
そんな君だからこそ、「移りゆく風の色と匂いと厚みを感じて」「目に見えない存在とつながる」微細で繊細な感覚を味わうことができたのだろう。
揺らぎつつ柔らかだが確かで拡がりと奥行きのある生を願っています。