言葉で認識し、心と体で共感する
浄智寺でのワークショップに関する感想
Sy L.
Student of Keio University
美しい鎌倉の自然に囲まれた浄智寺でのワークショップは、一言で表現すると、自分と他人の存在を言葉で認識した上で、体を動かしながらお互いの心に共感し、「私と他人」ではなく、「私たち」になる経験だった。あの日の私たちの経験と気分を、いくつかのキーワードを用いてお伝えしたい。
前半:"vulnerability"と"authenticity"(重松先生)
多様性が持つ可能性
他人と交流することはなぜ重要なのか。我々はなぜ自分とは異なる背景や特性を持つ人々と接する必要があるのか。ワークショップのはじめにやった活動は、その問いに対する答えを私たちに提示してくれた。
ボールを他の人にパスするごく簡単なことだが、パスする前にその人の名前を呼んでからボールをパスするという点が独特だった。最初はなれるまでに少し時間がかかったが、すぐお互いの顔と名前を覚えるようになった。活動が終わった後、感想を話し合う時に、重松先生からスタンフォード大学で同じワークをした時、障害のある学生はボールをパスすること自体に苦労をし、直接ボールを渡す方法に変えた話を聞いた。また、障碍者のために大きな講義室の真ん中に通り道を作ったら、皆が通りやすくなり、結果的には全員にとって便利になった経験も共有してくださった。
私はこの話が多様な人々が共に生活している現代社会において、重要な意味を持つと思った。文化、国籍、年齢、性別、出身、外見など、人々を分類する基準はいくらでもある。この分類によって、人々は自分と同じ集団の人と、そうではない人に区別する時もあるだろう。しかし、似ている人々だけが集まっているよりは、多様な背景と特性を持つ人々が一緒に暮らしていく中で、皆にとってより良い生き方を考えることで、発展と変化は生まれるかもしれない。つまり、多様性は新たな可能性につながるのではないかと考えた。また、スタンフォード大学の多様な学生と会うことがますます楽しみになった。
他人をそのまま受け入れる
"I see you."
"I am here."
お互いの目を見合わせながら、「私はあなたを見ています」というと、「私はここにいます」と答える。ここでいう「私」や「あなた」とは、その人だけでなく、その人の文化、家族、背景や属している集団などの、その人の全てを含む意味である。つまり、"I see you"は、私はあなたという人の全てと向き合っていますということを意味すると言えるのだ。
お互いの目を見て、この言葉を言い合うことは、はじめての特別な経験であると同時に、重みのあることだった。言葉の意味を考えて、その人の全てを尊重し、受け入れるという意味を込めて言おうとしたら、非常に重さが感じられて、上手く伝えるのが難しかった。言葉を言う時の速さ、トーン、口調、表情などを用いてその意味を伝えるために気を遣って話した。一方、相手に"I see you"と言われたら、自分のことを認められた感じがして、心が暖かくなり、距離が近づいた感じがして良かった。
「自分」を相手にオープンする
その他にも、ある人が"Who are you"と問い続け、他の人はそれに回答し続けることや、自分が感謝していることを話し合うことなど、対話を通じてやる様々なワークをした。二人ずつペアになったするワークが多かったため、親密に話す中でその人について知ることができたという大きな効果があった。
しかし、私は他人の問いに回答する中で、自分をより良く認識できたという点に注目したい。例えば、「あなたは誰ですか」という質問に対して、私は「私」という人を他の人にどのように紹介するのか。また、個人的な話をどこまでその人にオープンし、話題の重さをどの程度に設定するのか。他人の質問に答えながら、このように自分について認識できた。
後半:体を通じて、自分・他人・自然の心に共感する(小木戸先生)
指先で一心同体になる
芸術家の小木戸先生のワークショップでは、指先一つだけで他人と繋がり、お互いの「気」を感じながら一緒に行動するワークをした。人差し指を接したまま、言葉は一切言わずに、ただ相手を感じて動くこと。簡単そうだったが、自分一人で動く時とは違って、相手がどのように、どこに動きたいのかを言葉などで明確に分からないため、その人と自分の唯一な接点である指先に集中することが非常に重要だった。また、しばらく一緒になって踊るように動くと、その人と共感できたような気がして、不思議で興味深い経験だった。
自分の風を探し、自然を感じる
次は、他人ではなく「自然」の気を感じるワークをした。同じく人差し指を使って、風や空気の流れ、日差しなどを感じながら、自分と合う「自然の指」を探す活動だった。最初には「自然の指を探す」というのが結構難しく、どうすればいいのか分かりにくかった。それで最も気が楽で、気持ちいい風が感じられる場所を探そうと思い、入口周りのある場所に止まった。最終的にたどり着いた場所が、みんな異なっていて興味深かった。風に厚みがある、という話があったが、その厚みは人それぞれなのか、それともその人と気が合う自然と風の厚みがあるのか、もっと考えてみたいと思った。
信頼する
最後には、皆で大きな円を作って、その中に入った人が目を閉じて歩いたら、他の人々がその人が円の中にいるように手伝うワークをした。私も円の中に入った経験をしたが、目を閉じていると何も見えなくなる分、他の感覚が活性化され、普段とは距離感や方向感覚が少し違って、自分の位置が分かりにくかった。円の外に接近すると、皆それぞれの方法で円の内側にいるように守ってくれた。皆が私のことを見守ってくれていると思うと、とてもありがたくて、信頼できるということはこんなにも優しさが感じられることなんだなと思った。
私は好きな日本語の言葉がたくさんあるが、その中でも特に好きなのが「恵まれる」という言葉である。日本らしき文化が現れていて、その意味も漢字も、使われる場面も素敵な言葉だと思うからだ。浄智寺でのワークショップは、自然に恵まれた貴重な一日だった。
Photo by, Sy L.
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「自然に恵まれた」だけでなく多くの気づきに恵まれた貴女へ
他者の「問いに回答する中でより良く自分を認識できた」と振り返っているが、ワークショップでの自分の気持ち、感覚、それに考察を丁寧に見つめて、自分への気づきを深めている姿が見てとれる。
またワークショップから「多様性の可能性」を感じているが、それはその後のスタンフォードでのプログラムでも、見事に展開され、そしてご自身も大いにその可能性を引き出していた事は素晴らしい。
「自然に恵まれた」だけでなく、多くの気づきに恵まれたであろう貴女へ
一日の体験そこでの自分の感じたもの考えた事を丁寧に振り返り、自分についての気づきだけでなく、人と人とが織りなす社会についても深く想いを巡らせている。
例えば「他人の問いに回答する中でよりよく自分を認識できた」のは素晴らしい。また多様な背景、価値観、異なる性別、身体を持った者達が集い、交わり語りあう事で、全ての人にとってより良い社会が生まれるのではないかとの、「多様性の可能性」は、このプログラムでは見事に展開されたといえる。