ワークショップ5日目 後半
2022.09.03 最終発表、その後の話
グループごとの劇の発表があった5日目。最後のグループの発表が終わった後、プログラムが終了したと思ったその瞬間、私たちは大きくて重い質問と向き合うことになりました。
自分とは違うバックグラウンドとアイデンティティを持つ他人と、どう接するべきなのか?
この答えのない質問が与えられた過程、議論の流れ、皆が共有した思いと感情について記録したいと思います。
最後のグループの劇は、戦争時に日本によってアメリカの真珠湾が攻撃された際、アメリカに住んでいた日本人の人々がアメリカの各地に強制移住されたことを触れた劇だった。3日目に訪問したJapanese American Museumで私たちが見て、聞いて、学んだことを劇として非常によく表現した作品だった。
議論が始まったのは、発表が終わった後、皆で感想を共有する時だった。スタンフォードの学生であるPは、劇は良かったものの、実際にあった出来事について、実際そのことを経験した人々を登場人物として表現する時には、より慎重に扱うべきだという意見を提示した。彼女は、歴史的な出来事を扱う際には、そのことによって被害を受けたり、傷ついたりした人がいるため、真剣に考える必要があると言った。
特に、作品の重要なテーマだった「Asian Hate」はアメリカの根深い課題であり、時代や対象となる人々によって、状況と関係などが様々であるため、単純に表現することは危険であるという見方だった。
Pが自分の意見を述べた後に、スタンフォードの学生のDは泣きながら次のように言い出した。
劇の途中、差別的表現の一つとしてあった「お前は中国人だ」という言葉が書いている紙を、怒りながら破るシーンがあった。中国人である私は、その時恐怖を感じた。暴力に暴力で対応する感じがして怖かった。
もちろん、発表したグループにそういう意図は全くなかった。Asian Hateの一環として、「アジア人はとりあえず中国人だ」と思うアメリカ人の考え方を批判するためのシーンだっただろう。しかし、中国人のDにとっては、それが恐怖として感じられたのだ。
Dの発言は、まさに「Boiling Point」だった。ずっと静かに熱を集めていた水が、100℃になったらついに沸き始めるように、Dの発言をきっかけに活発な議論が始まった。マレイシアの自分の民族に関する話をしたスタンフォードの学生のH、戦後日本の政治に関する大学のある授業で先生の発言で傷ついた経験を話した慶應の学生など。多様なバックグラウンドを持つ学生たちが自分の経験を共有し、それについて皆で話し合うことの連続だった。
その後は、重松先生の指導を基に、プログラムを振り返りながら自分が得たこと、考えたことや感じたことなどの感想を皆で共有した。半分ぐらいの学生が話の途中に泣いた。それぞれの涙の意味は自分にしか(もしかしたら本人さえ)分からないだろう。ただ、一つ明確なのは、9月3日の夕方ぐらいに、スタンフォードのあの教室で私たちが共有した感想には、とても深くて濃い感情が溢れていたということ。
(ここからは私の意見と感想です。)
人間は、誰でも自分とは違う背景と経験を持つ他人を理解するのに苦労する。特に、その差が大きい違う文化やナショナリティを持つ人に対しては、そういうバックグラウンドを持つ人と接したことがないため、知らないうちにその人を傷つけることがしばしばある。
しかし、傷つけたこと自体で自分を責めすぎる必要はない。大事なのは、その経験を通じてより良い接し方を学び、自分の視野を広げて、相手に対する理解を深めることだと思う。
Dの話を聞いて、発表者の一人だったRさんが泣きながら謝ったことは、私にとってはすごく印象的だった。相手の感情について真剣に考え、心を込めた謝をすることは、決して誰もができることではない。そういう異文化や他人に対する態度を見習いたいと思った。
「異なるバックグラウンドを持つ他人との接し方」に一つの決められた答えなんてない。多様性、つまり、たくさんの人と出会って、経験を積んで、学びながら調整していくことが必要だと考えられる。
*「多様性」、「歴史の扱い方」、「共有すること(Sharing thoughts)」に関しては、また別の投稿でより詳しく扱ってみたいと思います。
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「異なるバックグラウンドを持つ他人との接し方」を学んでいる貴女へ
あのある種劇的で緊張の高まったやりとりの時間を、詳細に丁寧にまとめて頂きまずはありがとう。
井本先生も書かれておられるように、信頼感が醸成され、心と身体とが緩やかになっていたからこそ、あのような深くて率直なやりとりが出来たのだと思います。またそれだからこそ、次の重松先生がリードされた振り返りの時間が、大いなる学びと繋がり、そして癒しをもたらしてくれたにだと思います。
日本人どうしでは遠慮や様々な思惑が働いてあそこまで、深くは語り得なかったのではとも思いますが、どうでしょうか。異なるバックグランド、アイデンティティ、異なる歴史を持つ人と接するには、単純な正解もなく、様々な失敗からも学び、傷つくことも傷付けることも避けられないのかもしれませんね。
確かに
プログラム5日間で信頼関係が育まれ、身体と感情が解されていったところで、深く、intenseな対話の場が自ずと生まれましたね。
あの時間を振り返り、記述してくださり、本当にありがとう。
Jが最後にコメントしていたように、the program left us with more questions than answers.
次の投稿も楽しみにしています。